新着情報

「いってみた」第10回は県立北部病院へいってみた

  • 2021.8.27

 令和3年8月県立北部病院東側にある「國頭郡各間切島組合立  甲種国頭農學校跡」へいってみた。 明治35年4月13日甲種国頭農学校として設立・ 明治44年4月1日県移管により沖縄県立農学校と改称・ 大正5年3月21日名護村より北谷村字嘉手納へ移転、碑の背面には略上記の沿革が刻まれており、同碑は嘉手納に所在した県立農林学校の発祥の地である事を表していた。 その為、同校の嘉手納移転後、第三高女が跡地を用いて創立。昭和20年、両校何れも戦火に潰え、再起する事はなかった。更に隣の碑には「黒岩恒先生顕彰碑」と刻まれ、沖縄に於ける氏の偉業が並んでいる。氏は明治25年、師範学校の教諭として渡沖、その後農学校創立にあたり初代校長に就いた。植物学者として著名であった氏は在沖中、尖閣諸島の調査、命名した事でも知られる。沖縄の農業指導に貢献し、斯様に顕彰される氏は高知の産。某県出身の某官選知事と異なる扱いなのは、当然の帰結であろう。とある。

 追伸 関連の資料を探しています。資料を寄贈できる方は北農会館まで連絡ください。平安山 0980-54-4431

左側より「黒岩恒先生の顕彰碑」・「甲種國頭農学校跡」・「沖縄県立第三高等女学校発祥之地」の碑である

「黒岩恒先生顕彰碑」

「國頭郡各間切島組合立 甲種國頭農學校跡」

「國頭農學校」の沿革

「県立第三高等女学校発祥之地」碑 大正9年4月国頭郡各村組合立女子実業補習校として創立・同年12月21日文部省より各村立実科女学校として設置認可・大正13年4月国頭高等女学校として昇格・昭和5年4月県立第三高等女学校に昇格・昭和63年1月記念碑建立とある。

現在の名護十字路方面から見た中央高台の建物が「甲種國頭農学校」と思われる。手前左側が護佐喜御宮

旧国頭農林学校玄関 1965年6月28農業資料館(標本館)に移築されたが、国の登録有形文化財に指定され、2008年4月に再び学校玄関に移築された。

2008年4月に再び学校玄関に移築された。県指定有形文化財 国頭農学校玄関修復視察団・県立農林学校同窓会役員の皆様

甲種国頭農学校跡碑撰文解説補足資料 「日本一の農学校」・「日本三大甲種農学校」の所以